9月9日にしみじみ思う909のこと


9月9日──シンセやリズムマシン好きの間では「909の日」として知られています。

SNSを覗けば、Roland TR-909の写真やリズムパターンが次々に投稿され、まるでこの楽器が今も現役で息づいているかのようです。

1983年の発売から40年以上経つのに、なぜTR-909はこれほどまでに人々を惹きつけ続けるのでしょうか。

TR-909は1983年、TR-808の後継として発売されました。

アナログのキックやスネアに加え、6ビットPCMサンプルのハイハットやシンバルを搭載した、当時としては画期的なハイブリッド・リズムマシンです。さらにMIDIを備えた初期のリズムマシンのひとつでもあり、シンセやシーケンサーと同期できる点でも技術的に先端をいく存在でした。

特に注目すべきはシーケンサーの設計です。

TR-808から受け継いだ16ステップ入力方式は、ボタンを押すだけで直感的にリズムを組める「TR-REC方式」として親しまれました。最大96のパターンを記録でき、さらにそれらを組み合わせて最大4曲のソングとして構成することも可能でした。再生中に音を足したり抜いたりできるため、リズムマシンを“演奏する”感覚を実現したのです。

加えて、シャッフル(スウィング)機能による独特の揺らぎは、ハウスやテクノをはじめとするダンスミュージックのグルーヴに大きな影響を与えました。

これほど先進的な設計でありながら、日本市場では商業的に大きな成功を収められず、生産は短期間で終了します。

西洋で花開いた909

1980年代半ばのシカゴ。

中古市場に流れた909が若い世代の手に渡ります。Larry Heard(Mr. Fingers)が「Can You Feel It」(1986)で909を用い、Marshall Jeffersonは「Move Your Body」(1987)で“ハウスの国歌”と呼ばれるアンセムを生み出しました。

909の魅力は、アナログ音源が生み出すキックやスネアの圧倒的な存在感にありました。深く沈むバスドラムと乾いたクラップはクラブのフロアに直結するパワーを持ち、さらにシーケンサーが刻む独特のグルーヴ──必ずしもタイトではないその揺らぎが、シカゴのダンスフロアに見事にマッチしました。

1980年代末になると、イギリスでAcid Houseムーブメントが爆発し、909はヨーロッパのクラブ文化を支配します。

同じ時期、ベルリンでも大きな転換が訪れました。1989年の壁崩壊後、東西の空き倉庫や地下スペースで違法なレイヴが次々に開かれ、そこでも鳴っていたのはTR-909のビートでした。

デトロイトからやって来たJeff MillsやUnderground ResistanceのアーティストたちがTresorのクラブで909をリアルタイムに操り、その硬質なキックはコンクリートの壁を震わせました。ベルリンの荒廃した都市空間と909のサウンドは強烈に共鳴し、「都市のリズム」としてのテクノを確立していったのです。

1990年代に入ると、Daft PunkやThe Prodigyといったアーティストが909を武器に巨大フェスやレイヴの象徴となり、909は名実ともに「西洋で花開いたダンスミュージックの象徴」となりました。

日本で響いた909

一方、日本でも導入は早く、1984年には細野晴臣や佐藤博がすでに909を取り入れていました。シティポップやフュージョンの文脈で、まだ「新しい機材」として実験的に鳴らされていた時代です。

90年代に入ると、909は日本でも広く象徴的な存在になっていきます。

小室哲哉はTMNやglobeで909を積極的に使い、クラブ的なビートをポップスに持ち込みました。電気グルーヴ、石野卓球も909を前面に押し出し、日本のテクノシーンにおける決定的なシンボルとなりました。

私の909体験

私がTR-909を手に入れたのは、まさにその90年代のことでした。

当時のダンスミュージックの熱気に惹かれ、日本製のリズムマシンが世界中のテクノミュージシャンを胸熱にしていることに強い誇りを感じていました。

けれども909の真の威力を知ったのは、その後ドイツに移り住んでからです。

スタジオやクラブの大音量の中で909を鳴らしたとき、空気を揺さぶるキックの力、フロアを切り裂くハイハットの存在感に圧倒されました。

そしてもうひとつ大きかったのは、909がデスクトップ型の楽器でありながら、まるでドラムセットのように「演奏する」ことができたという点です。

シーケンサーを走らせ、ノブを回し、パターンを切り替える──そのパフォーマンス性は当時としては新しく、909が「リズムマシンを演奏する」というスタイルを切り開いたことを実感しました。

2000年代と新しいリズムマシン

やがて2000年代に入り、シーン全体がライブ志向や即興性を強めていきます。

ベルリンのクラブでは多くのドイツ人ミュージシャンが今もなおTR-909を演奏し続けていましたが、正直なところ、私自身は流石にドイツ人たちと909について語り合うことに少し飽き飽きしていました。

彼らが909をあまりに神格化しすぎているようにも感じられ、それに対して「本当にそこまで特別視すべきなのか」と思ったこともあります。

そんなときに出会ったのが、スウェーデンのElektronが発売したMachinedrumです。パラメーターロックという新しい概念は、909にはなかった未来を感じさせました。私は自然とElektronに魅了され、重厚な909を裏切ってしまったような気持ちを抱えつつも、新しい可能性に踏み出していったのです。

TR-8と実機の記憶

2014年、RolandはAIRAシリーズのTR-8で909を現代に蘇らせました。

USBオーディオや軽量設計、手頃な価格──便利で扱いやすく、多くの人にとって「初めての909」となったのは確かです。

さらに「プラグイン/プラグアウト」という仕組みによって、808や909だけでなく707までも切り替えて鳴らせるようになり、Roland自身が自らのレガシーを現代的に再解釈しました。

けれども、実機を知っている私には、その「現代的なエッセンス」が逆に強すぎるように感じられました。

音の再現度は高く、ACBモデリングの909は確かに“似ている”のですが、ノブを回したときの重みやシーケンサーが刻む独特のグルーヴ、クラブで空気を揺らすあの生々しい存在感──そうした体験はTR-8からはどうしても得られなかったのです。

909のクローン戦争は終わった

2010年代後半から2020年代にかけて、TR-909は「クローン戦争」と呼べる時代を迎えました。

RolandはBoutique TR-09やRoland Cloudの公式ソフト版を発表し、BehringerはRD-9を発売。無数のプラグインやサンプルパックも市場に溢れました。

しばらくは「どれが最も本物に近いのか」が熱心に議論されたものです。

しかし2025年の今となっては、その問いはもうあまり意味を持ちません。

実機か、クローンか、プラグインか──どんな形であれ909のサウンドはすでに音楽文化として普遍化したからです。

いまやどのDAWにも808や909のプリセットが標準で搭載され、エレクトロニック音楽を作ろうとするとき、自然とこれらを手に取る習慣ができています。

クラブで鳴る909的なビートに、リスナーは「本物かどうか」ではなく「どう鳴らされているか」に耳を傾けています。

クラシックという名に相応しい楽器

TR-909は登場から40年以上が経ってもなお愛され続けています。

もちろん理想を言うならば、本物のTR-909を所有したい。けれどもそれは今となっては現実的ではありません。メンテナンスは大変ですし、例えばドイツの中古市場(eBay)では4,828.77ユーロ(日本円にして約87万8千円)という価格がついています。こうした事情を考えれば、クローンやソフトウェアで909のDNAに触れることは、いまや十分に合理的な選択肢なのです。

それでも909の存在感は揺るぎません。クラシック音楽におけるピアノやヴァイオリンのように、909はダンスミュージックの文法を決定づけました。文化の礎を築き、今なお生き続ける──TR-909はまさに「クラシックという名に相応しい楽器」なのです。

しみじみと、909のこと

いくつもの楽器との出会いや選択を経ても、やはり思うのは 909が特別だった ということです。実機はもう手元にありませんが、909のキックやハイハットは、今も私の音楽の基準であり続けています。

そして今や808や909は、単なる楽器ではなく世代や国境を超えて共有されるカルチャーになりました。

9月9日になると、日本で生まれた一台のリズムマシンが、今も世界中のクラブを揺らし続けていることに、ささやかな誇らしさを覚えるのです。

 


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