KORG Tridentとは?
Cherry Audioが発表した「Trident Mk III」は、1980年に登場したKORG Tridentを忠実に再現したソフトウェア・シンセサイザーです。
このTridentが生まれた1980年は、まさにアナログ・シンセの転換期でした。
1978年にSequential CircuitsのProphet-5が登場し、世界はメモリー付きポリフォニック・シンセの時代に突入します。
一方で、70年代後半からは「ストリングス・シンセ」と呼ばれる楽器が流行し、
オーケストラのような厚みを手軽に出せることが人気を集めていました。
Eminent SolinaやLogan、そして日本ではKORG LambdaやDeltaなどがその代表です。
KORGは、そうしたアンサンブル系シンセの流れをさらに発展させ、
シンセ、ブラス、ストリングスという三つの音源を一台にまとめた“総合アンサンブル・シンセ”を送り出します。
RolandのJupiter-8(1981)が登場する少し前、まだMIDIが存在せず、
シンセ同士をつなぐ手段が限られていた時代。
Tridentは、アナログ・シンセが一台で“音楽を完結させようとしていた最後の世代”の一つでした。
そしてこの流れは翌1981年、よりコンパクトで手に届く価格を実現したKORG Polysixへと受け継がれていきます。
3つの音源セクション:Synth / Brass / Stringsの構造と個性
Tridentの内部構成は、シンプルながらも独特です。
三つの音源セクション——Synth、Brass、Strings——はそれぞれが独立しており、音の作り方もまったく異なります。
Synth部は2基のVCOとSSMフィルターを備えた本格的なポリシンセで、単体でも十分に個性のある太いトーンを生み出します。
一方でBrass部とStrings部は、より簡素なパラフォニック構造を持ちながらも、Tridentならではの工夫が凝らされています。
BrassトリガーとStrings Bowing──キーボード・プレイヤーに寄り添った設計
たとえばBrassセクションには「トリガー機能」というユニークな仕掛けがあり、
演奏中にサイレントノート数を2、4、8音の中から選択することができます。
これによって、“ここぞ”というタイミングでブラスの和音をまとめて鳴らすといった、演奏的な表現が可能でした。
またStringsセクションには「Bowing」というパラメーターがあり、
アタック感を強めたり、弦を弾くような立ち上がりを加えることができます。
これらの機能はいずれも1980年のオリジナル版から搭載されていたもので、
同時期のシンセにはあまり見られない、Korgらしいひねりの効いたアイデアといえるのかもしれません。
その独特の構造が、Cherry Audio版で再現されることで、改めてTridentの魅力が浮き彫りになったように感じます。
Tridentが奏でた“音の空気”──1980年前後の音楽シーンと響き
私は実機のTridentを弾いたことはありませんが、1980年前後にテレビやラジオから流れていた音楽を思い出します。
CasiopeaやThe Squareの滑らかなブラス、Weather Reportのうねるパッド、Totoの煌びやかな層、
そして松任谷由実や竹内まりやが描いていた都会的なサウンドスケープ。
あの頃のフュージョンとシティポップの間に漂っていた、温かく湿度のあるアンサンブル。
それがどんな楽器によって生み出されていたのか——
Tridentはまさに、そうした“音の空気”を形にした楽器だったのだと思います。
そしてそのことを、Cherry Audio版の音を聴いて、今になってようやく理解できた気がします。
Cherry Audio版Trident Mk IIIで進化した“Motion”機能
2025年にリリースされるに至ったCherry Audio版Truidentは、その設計思想を忠実に受け継ぎながら、現代の制作環境に合わせて拡張されています。
SSM2044フィルターの柔らかな開き方、BBDフランジャーの深い揺れ。
ハードの持つ有機的な揺らぎを残しつつ、解像度と安定性を両立しています。
音を重ねると、アナログらしい厚みがありながら、どこか穏やかで人間的な響きです。
少しレトロで、80年代の空気を思い出させるようなLO-FIな雰囲気があります。
Tridentは、ガチなシンセというより、どこかエレクトーン的な感覚を持つ“一人アンサンブル機”でした。
その“演奏で音楽を完結させる”というキャラクターが、今聴くと妙に人間味を感じさせます。
そして今回、Cherry Audio版で新たに加わったのがMotion”機能です。
Tridentの三つの音源セクションそれぞれに、独立したアルペジエーターやシーケンサーを割り当てることができます。
同じコードを押さえても、Synth、Brass、Stringsがそれぞれ異なるリズムやフレーズを刻み、
三つの動きが絡み合うことで、まるで小さなカルテットを指揮しているような演奏体験になります。
ハード版が“アンサンブルの質感”を追求していたとすれば、Cherry Audio版はそれを“動きのあるアンサンブル”へと進化させました。
そこにはTrident Mk IIIの新しさと音楽的ロマンがあります。
50万円の名機を69ドルで体験する、驚きのアナログ・エミュレーション
1980年当時、Tridentは定価でおよそ50万円前後という高嶺の花でした。
そしていまなお中古市場では60万円近い価格で取引されています。
その音を、わずか$69のソフトウェアで現代に再現できるというのは、ちょっとした奇跡です。
Cherry Audio Trident Mk IIIは、驚くほど精巧なアナログ・エミュレーションであり、
往年の名機の響きを誰もが手軽に楽しめるようにした、実に誠実なリイシューだと思います。
デモ版もあるのでぜひ試してみてください。
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