Native Instrumentsはなぜ音楽家から愛され、そして巨大化の波に飲まれたのか——あるユーザーの20年


ベルリンが生んだ「未来の楽器メーカー」

Native InstrumentsがinMusicに買収された。

このニュースを、私は一人のユーザーとして受け止めた。2006年にベルリンに来てから20年、私はこの会社の製品とともに音楽をやってきた。だからこれは企業の分析ではない。その時代を、その街で生きた人間の記録である。

私がベルリンに移り住んだ頃、この街は世界の電子音楽の中心にいるような感覚があった。

壁の崩壊から15年余り。空き地と廃墟が残り、家賃は安く、その隙間に世界中から音楽家と技術者が流れ込んでいた。私が住んだのはクロイツベルクの近くだった。トルコ系の商店とレコード屋とスタジオが同じ通りに並び、誰も他人の来歴を問わない。既存の価値観に縛られない独特の空気が、そこにはあった。

その時代、ベルリンと深く結びついた企業がいくつか存在した。

Ableton、Native Instruments、SoundCloud。

彼らは単なるテクノロジー企業ではなく、「これから音楽はどう作られるのか」という未来像を提示していた。

その中でもNative Instrumentsは、まさにベルリン的な企業だった。

Traktorが見せた未来

私がNative Instrumentsと出会ったきっかけはTraktorだった。

2000年代、DJといえばまだターンテーブルが中心だった時代に、コンピューターだけでDJをするという発想は非常に革新的だった。

そして、風当たりも強かった。「それはDJじゃない」と、面と向かって言われたこともある。

批判には理由があった。当時のラップトップDJは、セッティングからして大変だった。オーディオインターフェースを繋ぎ、ドライバの機嫌をうかがい、ブースの隅に場所を確保する。針を落とせば音が出るターンテーブルの隣で、こちらは毎回小さな引っ越しをしていた。おまけに、画面を見つめてマウスを操作する姿は、フロアからは事務作業にしか見えない。「メールでもチェックしてるのか?」というジョークは、何度も聞いた。

もちろん、見方によってはハードウェアDJ機材をPCに置き換えただけとも言える。

しかし、実際に触れた時に感じたのは単なる代用品ではなかった。

大量の楽曲管理、波形表示、ビート解析、ソフトウェアならではの操作性。それらは便利機能ではなく、選曲とミックスの考え方そのものを変えるものだった。

Traktorは機材を再現したのではなく、コンピューターによって音楽表現を拡張する可能性を見せていた。

NIが特別だった理由――音源ではなく未来を売っていた

Native Instrumentsが多くの音楽家から愛された理由は、単に高品質な音源を作ったからではない。

彼らは新しい音、新しい制作方法、新しいワークフローを提示した。

Kontaktは、サンプラーという概念をコンピューターの中へ持ち込んだ。

Massiveは、ソフトウェアだからこそ可能になった新しいデジタルサウンドを作り、2000年代後半以降のエレクトロニックミュージックに大きな影響を与えた。あの太いデジタルベースは、アナログの再現からは絶対に出てこない音だった。

そして、それらを束ねたのがKompleteだった。

当時のフルバンドルは、駆け出しの音楽家が気軽に出せる額ではなかった。何ヶ月か迷って、ようやく手に入れたのは分厚い箱で、中にはインストールディスクが束になっていた。インストールには一晩かかり、終わった後は片っ端からプリセットを鳴らして朝になった。

全部を使いこなせるわけがない。それでも、まだ聴いたことのない音が何千と手元にあるという感覚は、巨大なライブラリを丸ごと手に入れたようなものだった。

KOMPLETEライブラリが全てハードディスクに収録されていた時代もあったんだよなー

Maschine――制作のワークフローを変えた箱

2009年、Maschineが登場した。

当時の音楽制作は、完全にDAWの画面の中にあった。ノートもオートメーションもミックスも、すべてマウスで「編集」する。便利だったが、どこかで身体を置き去りにしていた。

一方で、AkaiのMPCが築いた「叩いて作る」文化は、コンピューター中心の制作から切り離された、別の世界になりつつあった。

Maschineは、その二つを繋いだ。

パッドを叩けば、そのままソフトウェアに記録される。サンプルの編集も、音源のブラウジングも、アレンジも、ハードウェアから手を離さずにできる。「MPCのソフトウェア版」と言われたが、そうではなかった。コンピューターの無限のライブラリと、指で叩く身体性を、同時に成立させる新しいワークフローだった。

実際、Maschineを導入してから、私の制作は変わった。画面を「編集」する時間が減り、パッドを「演奏」する時間が増えた。

この時期、Kontrol X1やS4をはじめ、数々の斬新なコントローラーも登場した。ソフトウェアの会社が、次々とハードウェアで新しい演奏のかたちを提案してくる。

これらの製品に共通していたのは、既存の機材をソフトウェア化しただけではないということだった。

Native Instrumentsは、コンピューターを単なる録音ツールではなく、新しい楽器へ変えようとしていた。

Maschine Jamもあったよなー、まだ全然使えるんだけど

ベルリンから世界へ。そして変化の始まり

しかし、成功とともにNative Instrumentsは大きくなっていった。

ベルリンを拠点に、ロサンゼルス、東京、ロンドン、深圳など世界各地へ展開し、グローバル企業へ成長していった。

これは当然の流れでもあった。NIの製品は最初から国境を越えるものだった。世界中のミュージシャンがKontaktを使い、Massiveで音を作り、Maschineでビートを作った。

しかし同時に、会社の性質も変化していった。

ユーザーの席から、転機を一つ挙げるなら、私はsounds.comだったと思っている。

2018年、NIはサンプルのサブスクリプションサービスを始めた。Spliceが急成長していた市場への参入だった。そして、わずか1年ほどで畳まれた。

サービスの失敗自体は、責められることではない。挑戦には失敗がつきものだ。ただ、このあたりから、この会社の目線が変わったように感じた。「新しい楽器を作る」ことではなく、「音楽制作市場のどこを取るか」を考える会社になっていった。

新製品の発表から「未来」が消え、堅実なアップデートに変わった。Reaktorのような実験的な製品は、ラインナップの脇に追いやられた。届くメールは、拡張音源とセールの告知ばかりになった。

Soundwide――音楽制作エコシステムへの転換

2010年代後半、音楽制作業界も変化していた。

単に優れた音源を販売するだけではなく、サンプル、クラウド、オンラインサービスなど、音楽制作全体を支えるエコシステムが重要になっていった。

Native Instrumentsもその方向へ進んだ。

iZotope、Plugin Alliance、Brainworxなどを取り込み、Soundwideというグループを形成した。目指したのは、「音を作る」「音を編集する」「音を完成させる」までを一つのグループで提供することだった。

しかし、異なる文化を持つブランドを統合し、巨大なエコシステムを作ることは簡単ではなかった。

かつてNIが象徴していたのは、未来の楽器を作る会社だった。

しかし次第に、巨大な音楽制作企業へ変化していった。

同じ頃、街も変わっていた。家賃は上がり、アーティストの部屋にはスタートアップの社員が住み、クラブは一つずつ閉店した。

安く始められて、実験が許される。そういう土壌から生まれた会社が、その土壌の消失と並行して変わっていったのは、偶然ではなかったのかもしれない。

inMusic買収。その先にある未来

そして今、Native InstrumentsはinMusic傘下に入る。

inMusicはAkai Professional、Moog、Denon DJなどを所有する巨大な音楽機器グループだ。

不思議な巡り合わせだと思う。MPCの文化に、コンピューターの側から応えたのがMaschineだった。その二つが、20年近くを経て同じ屋根の下に入る。

MPCにKontaktやKompleteの巨大な音源環境が統合される未来。Maschineがより独立した楽器として進化する未来。TraktorがDJハードウェアと再び強く結びつく未来。

技術的には、面白い可能性をいくつも描ける。製品は続くだろうし、それ自体は悪いニュースではない。

終わったのは、製品ではなく物語の方だ。

「ベルリンの小さな会社が、音楽制作の未来を定義する」という、2000年代に確かに存在した物語である。

Native Instrumentsが残したもの

Native Instrumentsの歴史は、一企業の成功と失敗の話だけではない。

それは、ベルリンのクリエイティブ文化が世界へ広がり、巨大な市場の中で変化していく過程でもある。そして私にとっては、この街で過ごした20年の記録でもある。

ユーザーとして振り返って思う。TraktorもKompleteもMaschineも、素晴らしい製品だった。しかし、この会社が残した一番大きなものは、個々の製品ではなかった。

NIは、常にイノベーションを強調する会社だった。既存の機材を上手く再現することではなく、まだ存在しない使い方を提示すること。その製品は、出た時には必ず「これは何のための道具なのか」という戸惑いを生み、数年後には標準になっていた。

そしてもう一つ、この会社が強調し続けたのは、音楽制作の民主化だった。

高価なスタジオも、高価なハードウェアも持たない人間が、コンピューター一台で音楽を作れること。誰もが参加できる音楽制作。かつてそれは理想を語るスローガンに聞こえたが、20年経った今、現実になっている。ソフトウェアさえあれば、誰もがかなりのレベルの音楽を作れる時代が、実際に来たのだ。

Native Instrumentsが作ったものは、単なるソフトウェアではなかった。

「コンピューターを楽器にする」

という考え方そのものだった。

そしてNIが見せてくれたイノベーションは、いまやあらゆる音楽制作の道具の中に生きている。



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